草木花
近くの公園に行くと樹木が沢山あります。散策していると木の根っこの造形美に圧倒されたり、中がぽっかり開いた幹があったり、いろいろ想像したり感動して見る事が多いです。
ある時は、オダマキの花です。同じオダマキでもいろいろな種類がありますが、私が見たのは薄ピンクのオダマキで
花びら一枚一枚にプリーツを折ってアイロンをかけて幾重にも縫ったのかと思うような、でもそれではとても追いつかないような精緻な作りで「一体誰がこんな造形をつくったの?!」と感嘆しました。
またある時には、春に私ほど背丈がある雪柳の枝先の細かい白い花が一斉に生命吹き出したように咲き誇った様子は勢い良く弾けたバブルバスの泡の音が聞こえてきそうです。まるで泡の中にどっぷり浸かっている様な錯覚で私を喜ばせ豊かな気持ちにさせてくれ、元気をもらいます。
青木の生垣に刺さった枯れ葉は、あちらこちらから飛び出していてまるで郵便局の私書箱に配られた手紙の様に見えます。
池に浮かぶ蓮の群生も一斉に同じ方向を向き、たおたおとした葉と可憐で華麗、優美さをもつ花たちは私達に嘘は無く真実を語りかけることをおしえているかの如くです。
花は愛溢れる生気がみなぎっています。目にするだけでも、香りを嗅ぐだけでも、波動を高めて癒してくれます。その波動で花と通じ合う時、一層心の中から愛が膨らんできます。すると花や樹々も、私たちに感謝する気持ちや神、宇宙がこの地球に花や樹々を生かしてくださった意味がしみじみと感じられるようになります。
生き物も同じです。ケヤキの背高のっぽの伸び伸びした枝は向かい合いドームのようなトンネルを作り、そのアーチをまるで遊んで楽しんでいるかのように鳩が群れて何度か低空から大空へ抜けていく様は飛べない私に見惚れさせ惚れ惚れした気持ちにさせてくれます。
愛犬と
愛犬と散歩をしているとその辺りの鳩や烏はそれぞれの人をどんな人か認識しているなと感じる事があります。私の愛犬は3年前の10歳になる1ヶ月前に急に両眼が見えなくなりました。
なのでいつも私が盲導犬代わりに道を誘導しているのです。多分その辺の鳥達はうちの犬の目が見えてない事を皆知っています。
何故なら、毎日私と愛犬のペアを見に近寄って来るからです。毎朝「おはよう」と鳩達に挨拶して歩きます。
愛犬が見えなくなった事に気がついたのは、夜の歯磨きの後、ご褒美で遊んであげるのですがオモチャが後ろ足のすぐ側にあるのに探し回っていた時です。
5月の初旬には公園で散歩に連れて来られてた亀を追いかけようとしていたので彼女の目は見えていました。6月初旬にも見えていました。
そして6月20日過ぎにはもう見えていなかったのです。アニマル・アイ・クリニックに行って診てもらいましたが、原因不明。水晶体、角膜、網膜とも見た目は綺麗だそうです。
最後に見えていたものは何だったのだろう?私の顔を覚えていてくれるかしら?と涙が溢れてきました。
しかし、元々人間程よくは見えていないということ、聴覚と嗅覚で歩けること、白内障になる子も多く生活していることを思うと仕方ないのかもしれません。ちょっと世界が狭まって寂しいと感じているかしらと毎日3回の散歩の度は勿論のこと、「愛してるよ。大好きだよ。」のシャワーでギュッと抱きしめています。
みんな生き物達は私たちに愛をくれています。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
皆様もどうぞ良い一日となりますように。