大いなる舞台
こんにちは。今日は昔の自分に再会してびっくりしたお話しです。
わたしはアプリで日記を時々書いています。特に、変わったことがあったとか、気づいたことがあったとかいう時に書きます。たまに見返して見るとびっくりすることがあります。例えば、2016年7月の一日はこんなです。
今日はカラッとした良い天気だ。晴々した陽の降り注ぐ水辺で空を見ていると、肉体を持って生まれた悲喜交々に思いを馳せる。美味しかったり、嬉しかったり、哀しかったり、悔しかったり、愛を感じたり、手伝ってあげたかったり、調べたくなったり、誰かに訴えたくなったり、面倒くさくなったり、誰か人やある時は動物を喜ばせたくなったり、泣きたくなったり怒ったり。これらは肉体を持っているから感ぜずにはいられなくなっている事。右往左往、一生の間に自分が納得できる自分の出来栄えまで高めるために毎日毎時間手足口目耳頭を総動員で完成させようとしている。一人一人が自分の主人公を演じている。全員、他の人は脇役だ。全員が練習も無しにいきなり限りある時間で演じなさいとこの世にほっぽり出される。だから必死で主人公を生きている。ここは大いなる舞台だった。以上
5年振りで見るとびっくりします。わたしが魂について本腰入れて学び始める前からこんな事感じていたんだと、自分で感心してしまう。やっぱり引き寄せられていたんですね。みなさんも日記に書くとか、アプリで気の向いた時だけ入力しておくだけでも自分の心の変遷を残せますよ。自分で自分にびっくりするって楽しい!
朝になると誰が昼色に色を塗るんだろう?夜になると誰が空を黒く塗りつぶすのだろう?皆んな 壮大な舞台装置付きの高級ホテルに泊まってるいるようなものだ。本当に偉大でこの宇宙に感謝したくなる。
マッサージされて思ったこと
去年暮れに母の介護を終えましたが、孫育てサポートは続きます。体が痛くて辛くて仕方がないので今日は思い切ってマッサージに行くことにしました。マッサージをされながら思ったこと。
皮膚に覆われてるから普段はわからないものの、みんなそれぞれ体の中にある沢山(どうも500以上あるらしい)の筋肉をいっぱい使ってあちこち痛いところがあると思う。人の痛みはわからないものだ。でもその痛み、使い古した筋肉、それはマイナーなイメージだけだろうか。
それは意図的に他に害を与えた時以外は、皆愛のために使ったのだ。自分への愛であったり、他者への愛であったりする。
朝目を覚まして気を引き締めて会社や学校に行く。商売をする。歯磨きをして顔を洗い、シャワーを浴びたり、朝ごはんを食べたり、パンや目玉焼きを焼いたり、電車に乗ったり、自転車をこいだり、買い物に行ったり、帰ってきては冷蔵庫にいろいろしまったり、野菜や肉を切ったり炒めたり煮たり煮込んだり。洗濯もそうだ。洗濯機がやってくれるけど干したり取り込んだりたたんだり、夜寝るまで子供の世話をして宿題を見てやったり、お風呂に入れたり。仕方なくやる事もあるかもしれませんが、やると最終的に決めて行動に移したのはやはり愛の力です。
そして、自分の走馬灯を見る時に感謝の気持ちと幸せでいっぱいに満たしてあげましょう。
今日も一日みなさんに良い一日となりますようにお祈りいたします。