わたしを生きる

これは20201221日に書き留めた備忘録にちょっと付け足したものです。

今、わたしは自分を解放したいと思っている。

本当のわたしを生きたい。

母は1211日から救急入院した。高熱と震え、褥瘡が悪化していた。

褥瘡ができた経緯はこうだ。

1031日から初めてショートステイなるものに1週間行ってもらった。

そこでもらったのかは不詳であるが、蜂窩織炎になり、両下肢に浮腫が現れてしまったのだが、腫れから転倒することが増え横になっていることが多くなってしまった。

それと共に傾眠傾向になり、午前午後と横になると寝てばかりになってしまったから当然床ずれが出来てしまったということになった。

なぜショートステイに行くことになったかと言えば、1029日から世話しているわたしが帯状疱疹になってしまったからだ。まさかのことだった。

主人は2度ほど帯状疱疹になったことがあるが、

私は3年前と今年の3月に大腸憩室で下血し入院をした以外、病気と縁が無い自分だったので本当に意外だった。

10月には2013年から要介護になった母の世話と2015年秋から娘の二人の幼い子供の子育てサポートをしていたのが結構重労働だったのだろう。毎日17時には6人分の夕飯が出来ている状態にして保育園に迎えに行ったり、シャワー、洗濯も殆ど全て。

精神的に限界を感じていたので、これを機に母にショートステイに1週間行っていただくことにしたのだ。

褥瘡状態がまだ不安定だが入院して看てもらっているので一応安心した。

しかし褥瘡だけでは病院でも入院継続できない。また、介護度の資格はともかく、褥瘡があるとそれなりの老人介護施設にも入所できない。

よって、症状が一段落したら自宅に帰って傷の消毒と薬の塗布とを繰り返し、あとは自動的に寝姿勢を変える電動ベッドで看病して行くしかない。

親の先がどうなるとも分からないが、93歳という年を考えると先はもうそれ程は長く無いのだろう。いつそういう時が来ても動揺することなく対処したいと思う。

今はいつか帰ってくる母のために電動ベッドへの入換えをするべく部屋を片付けている。

片付けと言っても全部パカっと捨てる訳にもいかず。ぽろぽろぽろぽろとはがき絵の交友関係、組織、寄付先、年金関係などの書類が出てくるからだ。

自分の書類を整理して廃棄して行くだけでも大変なのに、人の重要な書類まで失くならないように保管するとは本当にスペースといい、管理といい気を遣うものだ。

わたしの場合、主人と孫達と母の関係の書類管理だ。

書類とはただ保管して持っていれば良いというものではない。必要な時に必要な応答ができるようになってないといけない。

わたしはなんと背負いこむ気質なのだろうか。

この世には人任せにして生きていける人と、人任せに生きていけない人で成り立っている。

これでも人より先ず自分を大切にして生きようと努力してきたつもりだ。

毎年新年冒頭に家族で「今年の抱負」を述べる習慣が昔からある。

そして毎年、もっと自分を大切にしていくと述べていた。

しかし、囲まれた状況からして急に変えられるものだろうか。

ある日、人任せに生きていける人が突然、しかも当日になって何か新しい提案や相談、願い事を持ってくる。

そして、こちらが断ってもなかなか引き下がらない。

その内、情を絆すようなことを並べ尽くし、こちらの気を引こう、彼らの思う計画に沿わせようと狙ってくる。時には人の弱みに突いてくる時もある。

ここで強行に断って自分の予定通りの一日を過ごさねばならないのだ。これができないと丸一日疲弊させられる様な事態に陥る。

片付けは愚か掃除機もかけられない始末だ。毎日出来なかったにせよ、自己嫌悪に陥る。

子供達を預かるということは、その張りのある甲高い声と活発さ故んに、例えばある外出をして外で4、5時間過ごしてきたに等しい疲労感がある。

完全に精神的疲労から肉体的疲労を呼び起こしている。

わたしはもう解放されたいのだ。

 

と、1221日に記したばかりなのに……その4日後、

母は入院先で1225日未明に昇天してしまった。

母が未だ元気だった頃に、私は母に言った。

人は死を迎えると肉体を脱ぎ捨てて魂は光の国に行って生き続けるのよ。

だから死ぬことは何も無くなってしまうというような怖い事じゃないのだと話したことがある。

考えてみると、私が子供の頃に父がこんな事を言っていた。

それは、眠っている時の方が本当の人生で起きていると思っている今の方が夢の中ということもあるよと。

父もその世界を感じていたに違いない。しかし、最期は肺ガンで倒れ、会社経営で経済的な事にいつも心悩ませていたのだろうと思う。

人生は偶然ではない。

人は起こるべくした状況の中で全て愛することの学びに向かって、木々や草花、動物の様に自然に導かれているだけだ。

だから自分を愛し、自分から溢れる愛を人に与えることが出来るようにしていればいいのだ。

無償の愛は自己を犠牲にせず、出来ない時は自分の気持ちを人に寄り添ってあげるだけでも愛なのだからそれでいい。

素直に自分を好きになれない人、自分を愛せない人がいれば、それは本当の自分が望んでいることと軸がずれているからだ。

でもそれはその人のせいでも責任でも無い。でもそれを放っておくと殆ど病気になる人が多い。

どうしたらいいかと言うと、

自分が普段から不満に思っている事を紙に感情のまま吐き出してしまうと良い。

心をゼロポイントまで戻して上げる。

上がるまで出し続ける日を何回も繰り返す。

そして、どんな小さな事でも良かったなと思える事を全て書き出す。

そうして心の中で自己との対話を続けていくと

必ず気付いた時には自分の周りが自然に変化していることに気付く。

幸せと喜びに満ちたものの中に自分がいることに気づく。

そういうことだったんだと。

今日も最後までお読みいただけありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしくださいね。

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