世間では、人との付き合いは多分一番頭を悩ませることなのじゃないかと思う。
どうやって説得しようか、どうしたら怒らせないで話しを出来るだろうか、何と言うだろう?とか、
いつも周りの人達との事を考えて、自分も傷付かず相手もすんなり納得してくれるかばかり考えている人が多いのだと思います。
言葉には、同じ言葉でも、その時どんなシチュエーションで使うかで全く変わってしまうものもあります。
又、ちょっと違うだけなのに「何で?」と「なんて!」はいい例だと思います。
前者はネガティブな意味合いで憤りを感じて自分が理解納得出来ない時に出てきます。
「何でそうしたの?」とかです。後者は「なんて素敵なんだろう!」と言えば、ポジティブな感動です。
昨日愛犬アンナと夕方散歩しててふと思いついたことがあります。
兄のことは仮想現実だったという事を思い出しました。全て私の意識が創り出している事だったのです。
だから宇宙は私に何を気付かせたいんだ?って。
あー、娘も私の上の兄も私にわちゃわちゃ言ってくる!
それは私にもっともっとはっきり私が主体性を持って主体的に生きなさいということか!
兄には「答えない、返信しない」という選択肢で暗黙の表明を伝えることにしました。
どう解釈するかは相手が考える機会となります。
いちいち答えてこちらがそれに翻弄されることはもう有りません。
そう思ったら、兄は鏡の一片となりブラックホールに小さくなって飛んで行きました。私に「主体性をしっかり持って生きる」ことを気付かせる為にあんな事を言ってきてくれたんだね!と有り難く受け取りました。
そして私に少々依存していた娘には心の内で「みんな自立してください」と言って宣言していました。
するとどうしたことか1ヶ月も経たないうちに自然に頼らないでやって行く様になったのです。
人生、自分がどう生きたいかを自分ではっきり宣言して決めれば良かったのです。