こんにちは!
いきなりガーンと棺桶のイラストで申し訳ありません。
しかし、避けては通れません。
皆いつか「はい、ゲームはそこまで!いっぱいいろいろ頑張って体験してきたね!」と神様に言われます。
皆さんは自分の命が終わる時について考えることも時にはあることでしょうね。
私は自分は若い、まだまだやれる、と思ってやってきました。
しかし、人生は長いのか短いのか?
小学生の時分は一生小学校に通うのかなと思うくらい長く感じたと思います。
しかし、二十歳から三十路までは坂を転げるように一年一年あっという間に10年が経ってしまいます。
今、私は70歳になりました。と思ったら、もう70歳半です。
50歳から60歳も、60歳から70歳も二十歳の時と同じにあっという間です。
きっと70歳から80歳もあっという間なのでしょう。
いえ、80歳まで生きるのも当たり前にあるとは限りません。
一日一日が大切です。
そして体力も変わってきます。
50歳の時ひとりで動かせたタンスも今は動かせません。
80歳で動かせるおばあちゃんを知っていたので、ひとりで動かせる方法があるのだとは思いますが。
動かせないのに努力すると翌日以降に来るしっぺ返しで苦しむことになります。
よく飼い犬と公園を散歩をしますが、その時ふと思うことは「皆な忙しく日々暮らしているけれど、
ひょっとしたら今日が自分の命日になるかもしれない。今日か、数年後かわからないけれど今日という日。
皆な自分の命日だなんて思わずに暮らしている。」なんて思うことがあります。
亡くなった母に言わせれば「ゆっくり寝られるのは棺桶に入ったとき」ということでしたが、
わたしは何かを「やれなかったな。できなかったなあ!」と思って棺桶に入るのは嫌だ、だからそういう
最期にならないようにしようといつしか思うようになりました。
1 英会話
その始めは、「英語が話せないまま死にたくな〜い!」ということでした。
当時、航空会社関係でアメリカのエンジン企業の支所から時々英語の電話が入り、
その電話を取ってしまった時にスムーズに出れないのは嫌だなあと思ったのです。
こで会社勤めと子育ての傍ら、会社の自己啓発の一環で当時英検2級を目指して教材を取り寄せ
自力で猛特訓し、文法の本も読み漁りました。そして、英検2級をクリアしました!
その後、予約に異動になりました。しかし、英語の電話で予約センターでの会話となると、いろいろな
問い合わせもされるので英検2級だけではちょっと腰砕けです。
そこで今度は「英語の電話なんか怖くなーい!」と思えるように、早番の後とかに英会話スクールにも
熱心に通いました。
果ては英語のクレームまで替わらされることになりました。
しかし、恐れるなかれ!どちらかと言えば、外国人の方の方ががクレームに対する説明には
「あなたの言う事はリーズナブルだ!」と意外にもあっさり納得してくれるケースが多かったのです。
これは多分個人の責任を認識する教育がしっかりなされており、責任が明確な彼らは
日本人よりも自分の責任、覚悟というものが明確に認識されているからではないかなと思います。
2 自動車運転
そして、次の「死ぬまでにやりたいこと!」は「車の運転を一度もしないで死にたくなーい!」でした。
シフト勤務の中、早番遅番の中を縫うようにして教習所に通い詰めました。
そして、42歳にして車の免許を取得したのです。法規は100点でした。
実地試験は事前に自転車で道路標識の場所をチェックして回る念の入れようでした。
そして、都内や横浜、熱海小田原方面、国内旅行と、時々出かけて運転してしていました。
以前は、折角ヨーロッパの彼の実家に帰ってもいつも兄弟の車に乗せてもらうか、ヒッチハイクか、
早朝一本のポストブス(郵便局が走らせているバス)に乗って街に出るしかないのではとても不自由で不便でした。
そして、とうとう「ヨーロッパで一度も運転しないで死にたくなーい!」になってしまいました。
余談ですが、朝6時半発の郵便バスに1時間も揺られて町に出るのも好きでした。
何故なら、丘陵を川に向かって朝靄が漂い流れて降りていくのを見るのは最高に美しい光景だったからです。
それを見たい一心で早く起きてバスに乗ったくらいです。
3 カフェ経営
退職して暫くしてからは、在職中からずっと夢見ていたオーストリアン・カフェをやり、
現地では大人気のボスナーというカリー・ブルスト(カレー粉を振りかけたソーセージのホットドッグ)を
日本に出したくてカフェを始めました。
しかし、飲食業というのは半端なく大変だということを思い知らされました。
この詳しい話しはまた別の機会にすることに致しましょう。
終活が流行っていてそれも必要ですが、星空ナイトツアーや望遠鏡を買ってベランダで星空を眺めることなど
まだまだやりたい事もあります。
何れにしても、この三次元地球世界で肉体をもって感じられるものを折角なのでしっかり
楽しんで経験しておきたいですね。
そして、数年前からは自分が死を迎えるまで家族関係の理解をより深めておきたいという思いです。
時に、絡んだ糸を手繰り寄せないといけないかもしれない、櫛で通りをよくしておかないといけない、
共に楽しい食事などしながら言い残したことがない様にしたいという思いです。
完全にはできないかもしれない、でもそこまでが出来れば完全です。
棺桶に足を突っ込む時は「あ〜いい人生だった!皆なありがとう!」と伝えて死ねるように
毎日努力したいと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
どうか元気で素敵な一日になりますように。